コンフリクトとの色



「誕生日おめでとう、なぐも」
「あ、覚えててくれたんだ?」
「もちろんだとも。物覚えは良い方でな。恋人の誕生日とあれば当然の事」
「こ、恋人? そ そうだよね、・・・ありが」
「と言っても中には恋人の誕生日を二か月間忘れていたやつもいるらしいが」

感謝の気持ちは言い終わる前に一瞬にして宇宙のかなたに消えた。冬の青空は白みがかっていて、降り注ぐ陽の光が澄んだ空気をチラチラときらめかせる。雪の降らないこの街の冬は寒いばかりで、雪のひとつでも降れば少しははしゃぎたくもなるのに今日も生憎の晴天。おまけに柳の余計な一言が、今から約五か月前の出来事を思い出させるものだから立てなくてもいい腹を立てるはめになる。

「・・・これだからA型の男は」
「お前もA型だが、いわゆる典型的なA型像とは程遠いな」

フッ、と口元を隠すように笑う柳の顔がなんだかとても楽しそうだったので余計にむかついたのは言うまでもなかった。
私のどこが典型的なA型と程遠いっていうんだ。典型的なA型ってあれでしょ、几帳面で生真面目で勉強熱心で気配りできて、ええっと、あとはなんだっけ。まあいろいろあるけど、大体当てはまってるじゃん、ほら。
矢継ぎ早に頭の中でだけ反論をしてみたものの柳にはまったく伝わらなかったようで、はたから見れば図星を突かれて何も言い返せずにいる可哀想な子なんだろうなと思うと悔しくて仕方がない。けれど私が何か反論したところでわけのわからない理論を並べて撒かれてしまうんじゃないかと思うと、その方がよっぽど腹の虫が言うことを聞かなくなってしまう。

「さて、何が食べたい?」
「えっ ごちそうしてくれるの?」
「誕生日だしな」
「ほんと?じゃあねぇ・・・えーっと、うーんと」
「・・・・・・」
「んー・・・何がいいかな」
「・・・・・・」
「・・・どーしよっかな・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「わかった、雪見大福だな。コンビニ行こう」
「うそ!何でアイスなの!」
「相変わらず決められないなお前は。それでもA型か?」
「うるさい!柳のくせに血液型診断信じてるの?」
「まさか。信じてない」

やっぱり一言がつんと言ってやろうと大きく口を開いたらちょうど北風がぴゅうと背中を吹き抜けるので、がつんの一言が大きなくしゃみに変わってしまった。お世辞にも女の子らしいとはいえないくしゃみだったけれど仕方がない。こればっかりは取り繕うことなんてできないし、そもそも柳しか見てないんだし別にいいよね、って思ってたら「威勢のいいくしゃみだな」とかなんとかってふるふると肩を震わせているので、なんかもう、恥ずかしいじゃんバカ。

「ラーメン!ラーメンにしよう、ラーメン!美味しいお店知ってるの」
「いいだろう。ちなみに何ラーメンだ?」
「とんこつ」
「・・・とんこつか・・・」
「何?いやなの?嫌なら焼肉にしよ、焼肉!」
「いや、ラーメンでいい」
「やった!じゃあ柳は背油大目ね!」
「ふざけるな」

笑いながら柳のコートの袖をひっぱると、何も言わずに私の手を取って優しく握り締める。「冷たいな」どういう意味で言っているのかはわからないけど、柳の表情を盗み見るになんとなく嬉しそうな雰囲気が伝わってきたので、意味もなく照れてしまう。駅からラーメン屋までの道のりが短くてよかった。もし徒歩三分以上かかる距離だったらあるいは道に迷ってしまったかもしれないので。それこそ柳に笑われてしまう。











「・・・おい、かけすぎだ」
「そんなことないよ」
「見ろ、一面醤油の海だ」
「お酢も入ってるよ」
「心ばかりな」
「だってしょうゆ好きなんだもん」

特製ギョーザの平皿にぷかぷかと浮かぶギョーザを憐れむように見つめながら柳が小さくため息を吐く。「半分柳にあげるからね」親切の押し売りをしてみれば「醤油をかける前に言ってほしかった」とか言って切れ長の瞳をこちらに向けた。
しょうゆが好きなのは本当だけど、これに関してはちょっと手が滑っちゃったというか、正直なところこんなしょうゆの海にするつもりは全くなかった。なんてことを柳に悟られてしまわないように、なんでもないって顔でギョーザをひとつ口に運んだら思いのほか熱くてしょうゆの味も何もあったもんじゃない。

「あっ あふあふ あっふっ」
「ハハ、面白いな」
「っあ、 」
「フッ・・・ハハハ」
「・・・・ふ、うるはっ、あっつ」
「そりゃ熱いだろ」

咀嚼もろくにできなかったギョーザを飲み込んでコップの水を一気飲みして、隣でにこにこと笑う柳を思いっきり睨みつけてやったら「うまいか?」なんて言って優しく笑うので怒る気も喉元を通り過ぎてしまった。

ラーメン屋のカウンターに仲良く並んだ私たちの他も席はすべて埋まっていた。丁度食事時ということもあるけど、このラーメン屋はだいたいいつも繁盛しているように思う。奥のテーブル席では仲の良さそうなカップルがまるでおしゃれなカフェで一つのチョコレートパフェを仲良く分け合うように一枚のギョーザの平皿に向かい合っている。私たちも同じような状況であるはずなのに、醸し出される雰囲気はちっとも同じじゃない。横目で柳の様子をうかがってみると、テーブルの上に置いてあるセルフサービスのお水を、何も言わずに私のコップに注いでいた。そんなことをしている間に注文したラーメンが運ばれてくる。固麺の並盛ラーメンは薬味の量も背油の量もスープの濃さもすべて『ふつう』で、柳もそれに従っていた。つまらない。

柳の好きな味は、総じて私の好みとは合わない。
しょうゆは大目がいい。脂ののったお刺身はおいしい。焼肉は牛肉が一番だし、ラーメンの味は濃い方がいい。
味の好み以前に性格だって合わないことは好きになる前から自覚していた。だいたい柳と趣味が同じってそれ全然うれしくないし、何かにつけて反論したくなるし、少なくとも従いたくはない。こんなやつのいったいどこを好きなんだろう、と、どちらかと言えば私は柳の方に問いたいくらいだ。

ギョーザと同じ轍を踏まないよう、ふうふうと冷ましながらラーメンをずるずるとすする。おいしい。知ってたけど。
この味が好きなのだ。大好きだから、きっと柳の口には合わないんだろう。知ってる。あいつは何でも食べるとか言っておきながらだいたい味の濃いものを避けようとするきらいがあることを。だってほら、その証拠にさっきからギョーザに手を付けていない。今ならきっと火傷もしないのに。

「おいしいでしょ」

静かにラーメンをすする柳にそう訊ねる。ほんとうに可愛くないな、と思う。自分のこういう、ちっとも素直じゃないところが可愛くないということは思春期が始まる前から感じていたことなのに少しも成長しない。柳がどんなしかめっ面を見せてくれるのか、そればかり期待しているところなんかはもう、可愛いとか可愛くないとかそれ以前の問題だった。

「うん、うまいな」

それなのに、柳はと言えば私の心のうちなど知ってか知らずかあまりにも素直な返事を返してきて、それはまさに不意打ちで闇討ちで卑怯な手で、受け身なんてとってる余裕はなかった。











「はーおなかいっぱい」
「結局ギョーザも一人で食べてたからな」
「柳が食べないからでしょ」
「ハハ、そうか。それはすまない」
「すまないと思うならケーキごちそうして」
「満腹って言っただろ今」
「ケーキは別腹なんですーー」
「便利な胃袋だな」

あしらうような柳の脇腹を肘で小突くと、お返しと言わんばかりに私の髪をくしゃくしゃに撫でた。このやろうせっかく今朝きちんとセットした髪を、なんて、待ち合わせ場所に着いた時点でセットなんてしてもしなくても変わらないような頭になっていたくせにちゃっかり柳のせいにした。後で絶対に仕返ししてやる、と思っていたら今度は柳の手櫛でぼさぼさの髪を整えられてしまった。これじゃあ仕返しできないじゃん。

「寒いな、今日は一段と」
「うん。寒いね」
「ちっとも温まらない」
「何が?」
「お前の手」

そう言われて、忘れかけていた柳の右手に一瞬にして意識が戻る。自分の左手と繋がる大きな右手は温かく、包み込むように私の指先を覆っていた。「栄養バランスが悪いんじゃないか」ぽつんと呟くように柳が言う。手が冷たいことと栄養バランスの良し悪しにどんな関係があるのかなんてこと私は知らないし考えたこともない。それよりもラーメン屋のギョーザのことをまだ根に持っているのかと思うとこれだからA型の男は、なんていう、また振り出しに戻るような返事ばかりが浮かんでしまう。というか、柳って、A型なんだよね。

昔はそんなこと知らなかった。血液型も、誕生日も、食べ物の好みも。柳はもっと、違うひとだと思ってた。
真面目でまっすぐで、冗談も嫌味も言わない。頭が良くて、本ばかり読んでいて、女の子の扱いになんて慣れてるわけないって思ってた。優しくて面倒見が良くて気配りのできるひと。クラスでの彼はそんな風にしか見えなかった。
それなのに、いつからだっただろう。
笑顔で嫌味を言うし、平気で嘘を吐く。ひどいと言えば満足げに笑うし、柳のバカと言えばボキャブラリーが足りないなと言ってため息を吐くし、嫌いだと言えば少しだけ淋しそうに笑うから、ごめんと言うと信じられないくらい穏やかな顔で口角をほんの少しだけ上げるのだ。


すき だなんて。


「冷たいなら離せば」

絶対に言いたくない。

「冷たいから、」

だけど、ずっと、思ってる。

「離さない」


すき だって。


タイミングなんてとうの昔に過ぎてしまった。今更そこに戻ることなんてできない。好きだよって、言いそびれてしまった言葉がいつも心臓の中をぐるぐると駆け巡っているから、柳といるといつも心臓がばくばくと騒いでしまうのだ。

「と言ったら、どうする?」

どうもこうもない。離して、って言ったところでどうせ離してくれないんでしょ? もしも万が一の場合この手が独りになってしまうと困るので、悔しいけれど今日のところは黙って折れてあげるから絶対に離したらダメだよ。