すきだった。


ずっとずっと、すきだった。


ずっとずっと、このままでいられると思ってた。


ずっとこのまま君と二人で、歩いていけると思ってた。




















たとえば、そう。何も考えていないとき、あたしは一体何を考えているんだろう。「何も考えていない」なんてこと、人間にできるはずなんてなくて、だって「何も考えていない」ってことはもしかしたら、人間ができる一番素晴らしいことなのかもしれなくて、ううん、それよりもっと、かしこくて、素敵で、楽しい、人間だけの機能と権利なのかもしれない。だから「何も考えていない」なんてことはありえなくて、本当はきっと、きっと、自分がそれを認識していないだけで、認められないだけなのか、認めたくないだけなのか、どっちにしたってきっと何かを考えてるの。何を考えているかなんて、それこそ「何も考えていない」なんて思ってしまう人間には到底理解できない。
















「ねえ日吉、手、繋ご?」
「いやです」
「なんで!?」
「いやなものはいやなんです。理由なんてありませんよ」
「あ、わかった日吉、恥ずかしいんでしょ?そうでしょ!あったりぃ?」
「......」




日吉はとにかく、とにかく恥ずかしがりで、だけどそれを表に出すまいと、きっとすごくがんばっていた。目を逸らして、きゅっと唇をつぐんで、言葉を生むのをやめる。それだけでわかる。耳まで真っ赤になるなんて、そんなベタな反応日吉は見せてくれないけれど、ほんのりピンクが浮かんだほっぺが日吉らしいと思って笑った。




「...何が可笑しいんですか」




逸らした黒目であたしを捉え、つぐんだ唇は小さく開き、きれいな言葉が甦る。日吉はとにかく、とにかくバカにされるのが嫌いで、ましてあたしなんかに笑われたときにはいつも、あたしのことをキッと睨むの。そんな日吉が大好きだった。かっこよくて、かわいくて、あたしの姿だけ綺麗な黒目に映してる。嬉しくて、余計に笑うあたしに日吉はいつも、こう言うの。




「今日だけですよ」




いつも、いつも、同じ言葉を、日吉は言って、そしてあたしの小さな左手をやさしくやさしく包み込む。
大好きだって、いくら思っても足りないくらい、あたしは日吉が好きだった。

















何を考えているかを考えるとき、あたしはいつも、自分の過去をさかのぼる。どれくらい前の「過去」を思い出すかはそれぞれで、昨日は何をしていたか、なんてことを真剣に考えたこともあるし、随分前の過去、小学4年の遠足のことを考えたときもある。だけど結局、何も思い出すことなんてできない。何一つ、あたしが欲しかった答えではないのだ。何を考えているのかを「考える」ことに、もしかしたら、もしかしたら、答えなんて存在しないのかもしれない。
















「あたし、日吉のこと好きなんだ」




突然、それは突然、何の前触れもなくあたしは言った。長い前髪の向こうで、日吉の二つの黒い目が大きく見開いたのがわかった。あたしのことを見つめていた。不思議そうに見つめていた。あのときの日吉はもしかしたら、あたしのことを自分の彼女だなんて思ってなかったかもしれない。それ以前に、人間なのかどうかも疑わしいと、まん丸の黒目が吐き捨てるように言った気がした。




「好き。すきだよ、日吉」
「......知ってますよ、そんなこと」
「うん、あたしも知ってた!」
「...意味がわかりませんね」
「あたしは、日吉のこと、ずっとずっと、前からずっと好きだった」
「......」
「そのこと、きっと、ずっと前から、知ってた」




突然なんかじゃないの。前触れなんて、前触れだなんて呼べないくらい日常的に、存在してた。それがどうしてか、あのときぽろりと零れただけで、別に言わなくてもよかったかもしれないけど、特に言いたかったわけじゃないけど、だってあたしが日吉のことを好きなことは日吉も知ってるし、あたしも知ってるし、だからあのときのあの言葉は必然なんかじゃなくて、偶然そのものだったんだけど、だけど、。




「この先もあたしは日吉のこと、ずっとずっと好きでいるよ」




日吉を好きになることだけはきっと、偶然ではなく必然だった。




「...途中でやめる、だなんて言わないでくださいよ」




あのときのあたしと日吉はきっと、一瞬ではなく永遠だった。

















あたしは何を考えているんだろう。何も考えていないと思い込んでいたのは、何も考えていないと思わせたのは、他の誰でもない、あたし自身だ。自然現象でもなければ赤の他人の仕業でもない。あたしが、あたしに、あたしの頭に、刷り込んだ、記憶。「何も考えていなかったよ」と、囁いたあたしは嘘吐きだ。「考える」ことから逃げられる術などありはしないのに。「何も考えていない」と、あたしがあたしに言ったのは、あたしがあたしのために聞かせた、たった一つの優しい嘘。「優しい嘘」なんて言葉自体が「嘘」だと疑うこともなく。




だからすぐに見破ったんだ。「何も考えていなかったよ」と、笑って言ったあたしの涙を。
















走っても走っても走っても走っても逃げ切ることはできなかった。ただただ鼓動が激しくなって、ただただ呼吸が苦しくなって、ただただ身体が熱くなって、ただ、それだけ。走って、走って、走って、走って、それでも絶対に逃げられないの。あの言葉から、あたしは逃げることなんてできなかった。日吉が言ったあの言葉、あたしに言った最後の言葉。あたしをやさしくやさしくやさしくやさしくやさしくやさしくやさしく傷つけ、抉り、深く、深く、深く、突き刺したあの、日吉の言葉からは。






逃げられなかったんだ。


足が動かなかったの。


本当は。


だってもしかしたらそれは


優しい嘘だったかもしれないじゃない。










ねえ日吉。


























わ か れ る だ な ん て い わ な い で 。














































































あたしはただ、思い出したくなかっただけなんだ。
あのときの景色、あのときの天気、あのときの空の色、あのときの風、あのときの匂い、あのときの音、あのときの






あのときの、日吉の言葉


あのときの、日吉の表情


あのときの、日吉の気持ち。











「あのとき」を、まとめて一つの箱に入れた。
「あのとき」の箱に、蓋をした。
「あのとき」の箱に、鍵を掛けた。
「あのとき」の箱を、心の片隅に優しく置いた。






鍵は、あなたが持っている。
いつだってあたしの心の片隅にいる、「あのとき」の君。
二度と目の前に現れないで、と願ったあたしは愚かだった。
あたしが君を忘れない限り、「あのとき」はいつだって顔を出す。
鍵なんて掛かってなかったんだ。
掛けられなかったんだ。
「あのとき」を
忘れてしまうのが怖いんだ。


幸せだったあのときをもう二度と








思い出したくなんかない。


だけど忘れたくなんかもっとない。


























理解できるのはあたし一人で十分だ。
「ずっとずっと好きでいるよ」と、考えていた、そんな答えは。