「・・・おはよ」
「おはようございます」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・どうしたんですか?」
「・・・・べつに」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・どうしたんですか?」
「・・・・・・けたの」
「・・・・・・は?」
「・・また負けたんだってば!」
「・・ああ、そういえば。横浜に負け越」
「うるさいな!!」
「・・・・・・・」
「・・あそこで前園に代えるから・・あのまま森に投げさせればよかったのに・・・」
「(はぁ・・・また始まった・・・)」








言わない。









本日の先輩の機嫌はすこぶる悪い。

「おっ 昨日は災難やったなぁ?」

ニヤニヤという擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべた忍足さんはさながら先輩の不機嫌増強剤のように思えた。

「・・・うるさいなぁ」

そんな不機嫌増強剤を一瞥すると、先輩はひどく投げやりにそう零した。どうやら不機嫌増強剤に増強されるまでもなく先輩の機嫌はコンマ単位でどんどん傾いていくらしい。

「なんやぁ、ごっつ機嫌悪いんちゃう?まぁ今のハマに負け越すなんて信じられへんもんなぁ」
「なんだよ?また巨人負けたのかよ!しかも横浜に?ギャハハハ!ダッセ」
「ハッ・・・激ダサだな」

忍足さんに加え、向日さんと宍戸さんが次から次へと先輩の不機嫌に拍車をかけるようなことを言うので、

「うるさいなぁ!」

案の定、先輩の機嫌はガッタガタに斜めに傾いてしまった。当然だ。 普段怒ることなんてめったにない先輩が(跡部部長に怒られているところはよく目撃するが)珍しく本気で怒りを露わにしていることに驚き、その場にいるほとんどのやつらが戦慄したのは言うまでもない。

「・・・あ、ああああの、でも、でもいいところまでいったんですよね!」

俺がなんとかしなきゃ、とでも思ったのかまたこいつはいちいち出しゃばってこういうことをしやがる。点数稼ぎもいい加減にしろ。こんなことで先輩の機嫌が良くなるわけな

「ホラ、森が7回まで好投してたじゃないですか、清杉の一発もありましたし、なのに8回からピッチャー交代ってのはどうかしてますよね!」
「や やっぱりそうおもう!?長太郎もそうおもうよね!?」

い・・・のに。何かがおかしい。あまりの不機嫌さに鳳の作り笑顔にさえ癒しを感じるほどになっていたのだろうか。まるで心のオアシスでも見つけたかのように、天から差しのべられた救いの手にすがるように、先輩は声を大にして飛びついた。

「わたしも思ってたんだ・・・だってあんなに三振奪っててミスらしいミスだってぜんぜんなかったのに!しかもヒットまで打ったのに!自分で自分を援護ってなかなかできないよねぇ、そりゃあホームラン打たれたけど?その上同点になって危なかったけれどもさぁ!清杉だって打ったんだよ?大体、森はまだルーキーなんだよ?あのまま投げさせて、たとえまた打たれてそのまま負けちゃったとしてもそれはまた痛い思い出として残るわけだよね?ああ、俺はまだまだなんだ・・・って、敗北を味わって初めて思い知れるというものなのに!」

先輩の演説は終わらない。

「なんであそこで代えるかなぁ?しかもなんで打たれるかなぁ?そりゃあ、前園は良い選手だと思うよ。最近結構抑えてるし。でも別に代えなくても良かったんだってばぁ! ああもう森も災難だよねほんと。今まで5試合ずっと好投してるのに白星いっこも付いてないもんね。それって可哀想すぎるよ!ほんとうに報われない・・・もう!長太郎もそうおもうでしょ?!」

怒りと熱に満ちた先輩の演説が終わるやいなや同意を求められた鳳の肩が大きく跳ねた。

「えっ と、はい!思います!」

あんまり聞いてなかったくせに何言ってるんだお前。聞いてなかっただろ。聞いてなかっただろ。点数稼ぎやめろ。聞いてなかったくせに。先輩は馬鹿だからお前が話を合わせてるんだってわからないんだよ。わからないのか?お前、スーパーで買った卵必死になって温めてる先輩がいたらこっそり有精卵に取り替えるタイプのやつだろ。そういうの、偽善っていうんだよ。俺だったらはっきり言ってやる。いくら温めても雛は孵りませんよって現実を教えてやる。それが正解なんだよ馬鹿め。

「さっすが長太郎」
「鳳。お前あんまり聞いてなかっただろ」
「そ そんなわけないだろ、日吉。聞いてたに決まって・・・」

動揺しすぎだろ。騙すなら最後までちゃんと騙せ。だから結局悲しませることになるんだよ。そんな態度じゃいくらお前よりも騙されやすい馬鹿な先輩にだってわかる。

「ちょう た ろう?」
「す すすみません!すみません!!」
「・・・もういーよ」

天から差しのべられた救いの手はただの虚像だったことを思い知ってすっかり落胆してしまった先輩だったが、落胆というか、むしろこれはただ拗ねているだけなんじゃないだろうか。肩を落として口をとがらせて床をジッと睨んでいる姿はただの子供だ。いや、いつもよりも子供だ。

「(拗ねてしまった・・・)」
「(拗ねてもうたなぁ)」
「(めっちゃ拗ねてるコイツ・・・)」
「(激スネだぜ)」

先輩たちと鳳は顔を合わせてボソボソと何か言い合っていた。どうやらみんなの気持ちはひとつらしい。当然と言えば当然か。

「そうやってすぐに拗ねないでください」
「おまっ 何言ってんだよ!」
「おい日吉お前空気読めぇええええ」
「そうやで、何言うてんねん日吉はもういややわぁ、がこんなことで拗ねるわけないやん。な なぁ鳳!」
「えっ ええ!そ そうですよ!そうですよね!先輩は大人ですもんね!」
「だ だよなぁ、さすが長太郎、わかってるぜ」

いったいなにをそんなに慌てているんだか。俺は本当のことを言ったまでだ。向日さんはうるさいし忍足さんも宍戸さんも動揺しすぎですよ。あと鳳、お前はまたそうやって

「・・・ほんとに?」

ほら。だからいっただろ。単純なんだよ馬鹿なんだよ子供なんだよこのひとは。まったく、そうやってみんなして甘やかすからいつまでたってもこのひとはこうなんだよ。そういうのは優しさとは言わない。少なくとも俺は間違っていると思う。だから、

「嘘に決まってるじゃないですか。そんなこともわからないんですか先輩は」

言う。はっきりという。どんな馬鹿でもわかるように、きちんと。

「え・・・」

ぽかんと口をあけて、ぼんやりと先輩は俺を見上げた。頭の上に疑問符が浮かんでいるように見える。先輩たちはと言えば、もうどうすることもできないと諦めたようで、何も言わないのか言えないのか、とりあえず黙ったままだ。口は空いてるが。

「えと、先輩・・・あの・・・俺」
「今日部活休むって跡部に言っといて。わたし、帰る」

鳳の奮闘、もとい点数稼ぎも空振りに終わったらしい。ざまあみろ。

「ちょお待ち」
「うるさい!阪神ファンが!気安く名前でわたしを呼ぶな!」

そう言い残して先輩は風のように部室から去った。忍足さんには少しだけ同情したくなった。






***






「どうして日吉は先輩にあんな言い方したんだよ・・・」

鳳がひどく落胆した様子で俺にそう言った。追いかけなくていいのか、とも。うるさい。

「そうや。お陰で俺がとばっちり食らってしもたやないか。どないしてくれるん!」
「・・・しかも跡部に怒られるの俺らなんだぜ?わかってんのか若」
「そうだ!どうしてくれるんだよ!クソクソ日吉め!」

鳳に続き、先輩たちも寄ってたかって好き勝手なことを言う。聞いてあきれる。

「・・・別に。特に理由なんてありませんけど」



言えるわけないだろ。



「ただ、毎日毎日巨人が勝ったか負けたかでいちいち機嫌コロコロ変えられちゃこっちが迷惑なんですよ」



巨人に妬いてる、だなんて。






***






「どこ行くんだ
「あ・・・跡部・・・(ど どうしよう)」
「まさか帰る気じゃねぇだろうなぁ?アーン? お前がいなかったら誰が雑用すんだ」
「(雑用ってこいつ・・・!)(いや、でもここは下手に)・・・だって巨人が負けたんだもん。だから帰らせてくださいお願いします」
「んなもん俺様には関係ねぇ」
「(いっぺんさしてやりたい)・・・っていうか、日吉と絶交したから部活で会いたくないの」
「何があったんだよ」
「・・・わかんない。けど、なんか機嫌悪いみたい」
「・・・大方、部室でずっと巨人の話でもしてたんだろ」
「え?なんでわかるの?」
「・・・だから日吉は怒ってんだよ」
「で でも、そんなことくらいであんなに不機嫌になるわけ」
「お前にとってはそんなことでも、日吉にとってはそんなことじゃねぇんじゃねぇの」
「・・・え?なんで?」
「バーカ」






***






ここのところ、毎日だ。
昨日巨人が勝ったとか、負けたとか。
今年は中継ぎが冴えないとか、抑えもいなくなっちゃった、とか。
でも高浜がまたここぞというときに打った、とか、五藤がすごすぎる、とか。
挙句、日吉も野球選手になればいいのに、とか言い出す始末だ。テニス部のマネージャーをやっている人間の言うセリフじゃない。

俺はいつも、わざと気のないフリをして他の話題にすり替えようと試みるのだが、それはいつも無駄に終わる。
何の話をしたって、先輩の手にかかればそれらはすべて巨人の話にすり替えられてしまう。

もう、限界だ。俺はあなたの、 ・・・なのに。






***






「どうして?なんで巨人の話をすると日吉は怒るの?」
「わからねぇのかよ」
「・・・!?まさか、日吉も阪神ファンなんじゃ」
「(・・・も、ってなんだ)(あぁ、忍足か)・・・妬いてんだよ」
「え?」
「妬いてんだろ」
「はぁ?・・・え、もしかして、巨人に?」
「ああ、巨人に」
「・・・・・・巨人に?」
「オラ、部活行くぞ」
「・・・あの日吉が?」






***






「ってはほんまに帰ってもうたんやろか」
「途中で運悪く跡部につかまってたりしてなーギャハハ!」
「ありうるな」

先輩たちがそんな話をしていると、ガチャリ、と部室のドアが開いた。

「あ・・・跡部部長・・・と」

さっき逃げ帰っていったはずの先輩が、そこにいた。

「なんやぁ、やっぱ帰ってきてくれたん?。そんなに俺が恋しかっ・・・」
「日吉」

忍足さんの言葉を遮って先輩は俺の名前を呼ぶと、ずい、と俺の目の前に立った。ひどく真剣な面持ちで俺を見上げている。

「なんですか」
「日吉ってもしかして、わたしのことがすごく好きなの?」
「・・・は?」

思わず間抜けな声がこぼれる。当然だ。何を言っているんだこの人は。何を言っているんだ。ここは部室だぞ。俺だけじゃない。みんないるんだぞ。こんなところでいったい何を。
それ以上言葉を紡げないでいると、

「何言ってるんですか先輩!二人はお付き合いしてるんだからそりゃあ好きに決まってるじゃないですかぁ」
「そりゃそうだよな。当然だぜ」
「当然だよなぁ?日吉ぃ」
「当然やんなぁ?日吉ィ」

だからお前は黙ってろ鳳。あと先輩たちはその気持ち悪い顔やめてください。ほんとに気持ち悪いので。

「ねぇ日吉、そうなの?」
「言ってやれよ。日吉」

跡部部長が自信たっぷりにそう言った。なんなんだこの人は。どうして、どうしてこの人は。

知ってるんだ。

その上、先輩にそのことを話したようだ。まったく余計なことを。

「・・・別に、そんなこと」

言えるわけないだろ。

そんなこと、言えるわけないだろ。

「やっぱり違うんじゃない・・・跡部のばかぁ!やっぱり日吉とは絶交!」

絶交、の言葉に少し動揺したものの、そもそもの原因は先輩の方にあるわけで。

「強がってるだけだろァ?アーン?」
「なんやぁ、わかったわぁ。日吉、妬いてるんやろ、この俺」
「巨人に妬いてんのか!え、マジで!?ギャハハ!ダッセ!マジだっせ!」
「岳人にまでシカト食らうんは結構キツいわ・・・」
「・・・激ダサだな」
「日吉でもやきもち妬くんだ。しかも巨人とか」

黙れ黙れ黙れ。先輩たちも鳳もみんなうるさいんだよ。黙れ。別に俺は巨人に妬いてなんか。妬いてなんか。

「やっぱりそうなの?日吉。そうなの?」
「・・・・・・」

妬いてなんか。

「あ、逃げた!」
「逃げたで!」
「逃げたな」
「逃げちゃいましたね」






***






あんなところにいられるか。絶対に言わない。俺は絶対に言わないからな。何があっても言わない。
ほんとうはすごく、すごく、すごく好きだなんて。絶対に。言わない。言ってやらない。




でも先輩の機嫌はすぐに良くなるだろう。
俺も、巨人ファンであることを言えば。