うさぎというちいさくてよわよわしいいきものが平気で零度を下回る連日の凄まじい寒さに耐えきれるはずがない。暖房と電気ストーブのきいた狭い部屋でこたつに肩まで入りながらそんなことを思った。なぜ突然そう思ったのかは自分でもよくわからない。そして気がついたらここに来てた。

「部外者は立ち入り禁止」

いつのまにか隣に立っていた彼の声は酷く無情に響く。まるで何かの刑の執行を宣告するみたいに。
だからわたしはとりあえず頭を下げることにした。
 
「ごめんなさい」
「うん、邪魔」

孫次郎は慣れた手つきで兎小屋の掃除を始める。わたしは突っ立ったままその様子をただ見ている。
古めかしい竹箒でわたしが立っているすぐ隣の特に汚れてもいない地面を掃き始める仕草はゴミじゃなくわたしを追い払おうとする仕草なんだろうか。それともわたしなどゴミも同然という意味なんだろうか。考えてみたところで、結局どちらにしても同じことだった。孫次郎はいつだってわたしに冷たいと思う。部外者は立ち入り禁止だなんて、そんなルールなかったはずだ。
竹が土に擦れる音を聞き流しながら左手で右手の手袋をすぽんと引き抜いて足元の白い毛を撫でた。やわっこい感触が裸のてのひらをなぞって少しくすぐったい。そしてとてもあたたかい。

「ふうん。無視かあ」
「きみたちかわいいねえ」
「…」
「痛っ なにするの」
「ゴミかと思って」

ごく自然に目を丸くしてみせる彼の顔は相変わらず蒼白くて血色が悪い。声にも覇気が無い。こんなのいつものことなのに、今日ばかりは吹きつける冷たい風のせいだと思ってしまうから不思議だ。休日のこんなに寒い日は暖房と電気ストーブのきいた狭い部屋でヒートテックを重ね着しながらこたつに肩まで入るのが一番適した過ごし方だということは自明の理であるのに、わざわざ学校まで来てうさぎやその他もろもろの動物の世話をしなきゃならないのが生物委員ならこんな大変な委員会はないと思う。確かにうさぎやその他もろもろの動物は可愛くて愛くるしいけれども。そうだけれども。だけどやっぱり寒い。若干の尊敬の念を込めて孫次郎を見ると「何?睨んでも謝らないよ」と言われた。睨んでないよ。でもむき出しのひざこぞうにぶつかった竹箒の先端はめちゃくちゃ痛かったよ。

「孫次郎は偉いねえ」
「生物委員だからね」
「先輩たちいないの?」
「当番は僕だけだから」
「今日すっごく寒いよ」
「知ってる」

寒空にわたしの吐く息と孫次郎の吐く息が白く浮かび上がって「ワタアメみたい」なんて月並みでおもしろくもなんともない比喩が口をついて出た。即座に後悔したけれど孫次郎は何も言わなかった。
足元には白や茶やグレーのふわふわもこもこしたおもちみたいな毛のかたまりがたくさんくっついていて孫次郎が与えたと思われるにんじんやキャベツの葉っぱをむしゃむしゃと食べている。見ているだけでほっこりするなあとしみじみしていたら孫次郎がまた「邪魔」と言った。だからそこ汚れてないってば。

「寒い」
「なら早く帰りなよ」
「あの子たちはあったかそうだね」
「うん」
「いいなあわたしにも白いもこもこの毛が生えてたらいいのになあ」
って馬鹿だよね」
「うん?」
「あのね、人間より動物の方がよっぽど賢いんだよ」
「ふうん」
「お互いの体温で暖め合うことが一番効率いいって知ってるの」
「…」
「…何?」
「えっと、くっついてみた」

ぴとり。
孫次郎の背中はこんなに広かったんだなあと、ぴったりはりついてみて初めて思う。そしてなるほど、人のぬくもりというのはなかなか侮れないものだ。細い腰に回した手にぎゅっと力を込めてみると、すごくあたたかい。それと孫次郎の匂いがした。我ながら大胆なことをしたかもしれないと気がつくまでには数秒の時間がかかって、気がついてからは急に恥ずかしくなってきて今度はどのタイミングで離れるべきか逡巡したけれど、そのうちなんかもうまあいいかという結論に至った。たぶん、寒さのせいだ。
ぽつり、「とくっついて暖をとるなんて御免なんだけど」と迷惑そうな声が聞こえたけれど何故だか振り払われはしなかった。そしてまた「邪魔」と言われた。

「じゃあそろそろ帰るね」
「ていうか何しに来たの?」
「うさぎの様子を見に」
「生物委員でもないのに?」
「あとついでに孫次郎の様子を見に」
「ふうん」
「邪魔してごめんね」

「あ、

くるりと背を向けた途端、わたしを呼び止める声が聞こえた。振り返るとあたりまえだけど孫次郎がいる。ちゃんと正面からまじまじとその顔を見ると、いつも通り青白い顔の中でただひとつ鼻の頭だけが、ほんのちょっとだけ赤かった。そして箒を握る指先は真っ赤だった。どうやら、彼も人並みに寒さは感じるらしい。

「それ貸してくれたら、また来てもいいよ」

はーっと、自分の両手をこすり合わせて息を吹きかけてみせる。また白いワタアメのようなもやが広がる。
きっと小さいよと言いながら差し出した手袋を無言で受け取ると、孫次郎はほんの少しだけ笑った。赤い鼻がなんだか無償に愛おしいと思った。つまんでやろうと手を伸ばしたけれど逆にその手はつかまえられて、反対の手で鼻をつままれる。「生意気、」と笑みを深めた孫次郎の顔はずいぶんと大人びて見えた。主を失った竹箒が地面に転がってカラカラと乾いた音が響く。

おかしい。こんな気温なのになんだかものすごく顔が熱い。