伊賀崎孫兵くんという人がいる。忍術学園の3年生で、生物委員会所属で、とても綺麗な容姿をした男の子である。クラスがい組ということから鑑みるに、おそらく頭もいいのだろう。凛とした佇まいからはそれがひしひしと感じられ、まさに眉目秀麗という言葉がよく似合う、むしろそれを体現したような人である。へたをするとそこらへんにいる女の子よりも美しいお顔をしているので、くのたまからの評価はあまり高くない。まあこれについては他の原因も大いにあるのではあるが、まあ、とりあえずそれは置いておくことにする。ところで。わたしが彼の名前や外見それに委員会や組まで知っていることには、何かこれといった理由があるわけではない。たとえば彼と友人であるだとか彼にひっそり想いを寄せているだとか、そんな特筆すべき理由はたったひとつだってないのである。ただ単に、彼が有名人であるというだけの話だ。おそらくは学園中の生徒にその存在を知られているであろう彼に、少しばかり、常人では考えられない部分があるというだけなのだ。だけ、とは言ったものの、誰だって「毒虫野郎」などとという少し風変わりないやむしろ異常とも思える通り名を聞けば目を瞬いて首をかしげるだろうし、首に巻きついた赤い毒蛇に熱視線を送りながら接吻までしている男の子を見れば、思わず視線を逸らして口を引き攣らせるだろう。つまりはまあ、そういうことである。特にわたしは同級生の生物委員長代理・竹谷八左ヱ門とそこそこ親しくしている仲なので、「孫兵」「ペットの毒蛇」「脱走」なんて言葉を聞くのは、日常茶飯事といっても過言ではないのだ。そういうわけで、わたしは伊賀崎孫兵くんのことを存じ上げている。だがひとつ気をつけておきたいのは、この理論付けはあくまで対象が伊賀崎くんという少し特殊な人物であるからこそ成立する話であって、間違っても逆は成立し得ないということだ。つまり学園の中をふらふら歩いていたわたしが伊賀崎くんと出くわしばっちり目が合ったところまでは「偶然」の一言で片付けられるにしても、「先輩、」と初めて聞く声でフルネームを呼ばれ、手首をつかまれ、「僕はあなたをお慕いしておりますので、お付き合いしていただけないでしょうか」と微笑まれても、はて、と言う感じなのである。以上、状況説明終わり。


「突然すみません」
「…は? えっと、え?うん?」
「驚かれましたか?」
「え、いや、えっと、うん」
「申し遅れましたが、僕は3年い組の伊賀崎孫兵といいます」
「はあ、えっと…知ってます」
「おや、そうでしたか。それは嬉しいですね、ありがとうございます」
「はあ…」
「こら、ジュンコ、威嚇しちゃだめだよ。応援してくれるって言ったじゃないか。そうだろ?」
「は…え…ジュンコ…?」
「あ、彼女の名前です」
「ああ…蛇の…?」
「はい」
「…あの、伊賀崎くんは、」
「はい」
「その、蛇が恋人だと、伺っているんですけれども」
「え、誰にですか?」
「竹谷くんにです」
「そうですか」
「はい」
「まあ、それも間違ってはいないですけど。先輩、ご存知ありませんでしたか?」
「は?」
「僕は確かにジュンコのことを愛していますけど、」
「はい」
「哺乳類にも興味があるんですよ」
「はあ…」
「つまり人間」

「特にあなたには、ね」


クイ、と口の端をつり上げて笑う伊賀崎くんはさながら蛇のようで、わたしはまるで、蛇に睨まれた蛙のようでした。



「はは、ご冗談を。睨んでなどいません。熱烈に見つめているのです」


ああ、かみさま。
「好きですよ」、といっそう笑みを深くするこの美しい蛇に、憐れな蛙はこのまま食べられてしまうのでしょうか。



そんなアレゴリー
「仕方がありません、それが宿命ですから」


(つかまれた手首が熱いのです)