例え話をするならデクスターがディディと語り合うようなものだ。
いくらデクスターが理路整然と言葉を並べ立て論破しようのない完璧な理論を展開してみせたところでディディには何ひとつ響かないし届かない。おそらくデクスターは一生かかってもディディという人間を理解することはできないだろう。彼のような人はマンダークみたいな奴とレベルが高いんだか低いんだかよくわからない論争を延々と繰り広げていればそれでいいのだ。
さて、ここまで言って柳がまったくもって意味がわからないちんぷんかんぷんだという顔をしているので(おそらくデクスターズラボを知らないと見える)、もう一つ例え話をするならそうだな、アインシュタインがいもむしに語りかけるようなものだろうか。彼は地面の上でうねうねと身をよじるいもむしにひとつふたつ言葉を投げかけた後つのる苛立ちと虚しさでいもむしを踏み潰すだろう。圧力をかけるだけでなく二、三度にじるかもしれない。そんなゆるぎない相容れなさがそこにはあるのだ。
ただわたしはアインシュタインという人物について相対性理論の人という知識とも呼べないような事柄しか知らないしそもそも相対性理論が何であるのかも塵ほども知らないので、もしかすると彼は三度の飯よりいもむしが好きでいもむしにキャサリンだとかジェシーだとかそんなような名前をつけて頬ずりしてしまうくらい可愛がっていたという真実がなかったとも言い切れない。よってこれがあくまで例え話であるということをここに添え書きしておこう。

「つまりわたしと柳はわかり合えないってこと」
「いや俺部屋掃除しろって言っただけなんだけど」

情けなく眉根を下げた柳ははあああと漫画みたいなため息をついてがっくりとうなだれた。そりゃあもううなだれた。それから今さっき自分が足を踏み入れたばかりのこの可愛らしいスイートルームを見回すともう一度大きくため息をついて肩を落とした。ちなみにスイートルームとはわたしの部屋のことである。
ところでこいつは一体わたしの話のどこを聞いていたというのだろう。あんなにわかりやすい例え話もそうそうあるまいし、わたしとしてはかなり噛み砕いて話したつもりなのだけれどどうやら真意は伝わっていなかったらしい。ええい堅物め。

「それは心外だな、俺は堅物じゃない。それは弦一郎だ」
「あっそう。どうでもいいわ」
「なんだお前が言い出したことだろう」
「じゃあいいよ堅物は真田ね、これでもう文句ないでしょ」
「いやだから部屋掃除しろ」
「えー聞こえない」
「掃除しろ」

カッと目を開いてまで同じことばかり繰り返す柳はバカなのかなんなのか。そうじゃないことはちゃんと知っているけど、こう口うるさく言われてはそうも思いたくなるというものだ。片手で顔を押さえて力なく本棚に寄りかかる柳のもう片方の手には赤地に黒いリボンのついた大変可愛い靴下が握られていた。正確には指でつまんでいた。どうやら足元で拾ったらしい。あれれ昨日洗濯に出し忘れたやつだいっけね。

「おいお前これ…」
「ちょっ別に臭くないでしょ。そんなこれみよがしにつままないでよ」
「例え臭くなくても汚いだろ」
「臭くもないし汚くもないです」
「頼む、お願いだから掃除してくれ」
「ええー」
「ええーじゃねえ」
「だいたいこの部屋のどこを掃除しろっていうの?片付いてるじゃん」
「ええー嘘でしょ?そこから?」
「十分キレイだと思うけど」
「よしわかった。お前の感覚がとち狂っているということでいいな」
「ふっ、所詮デクスターにディディの感覚は理解できないってことか」
「だから誰なんだよデクスター…」

アメリカ人なのかいやそもそも人間なのか?などとひとりでぶつぶつつぶやいてる柳の隙をついてすばやく靴下を奪い取り丸めてポケットにつっこむ。すぐ「そんなところにつっこむなよ」と言われたが、じゃあどこにつっこめばいいんだ。さすがに使用済みの靴下を箪笥に戻すことは避けたいし柳の手前放置もできないしこうなったらもうポケットくらいしかないじゃないか。そんなわたしの思考を読んだのか、柳はまたため息をついて「出せ」と言った。今日ため息多いな。

「あとで洗濯機に入れてこい」
「わかりました」
「どうだ、これで少しは片付ける気になっただろう」
「いやなんないけど。そもそもちょっとくらいちらかってる方が何かと便利なんだよ」
「あ、ちらかってるって言った。キレイなんじゃなかったのか」
「あげあしとらないでください」
「あげあしではなく理論の綻びを指摘しただけだ」
「屁理屈いわないでください」
「屁理屈ではなく正論だ」

柳が得意気になっていつもの笑い方をする。それにしてもいつまでも立ち話をしているのもなんなので、「いい加減座れば」と言うと「どこに座ればいいんだ」と返された。確かに。その通りである。でもわたしの部屋がキレイだろうと汚かろうと柳に迷惑かけてるわけじゃないんだから別にいいジャン。と思ったけれど、今まさに迷惑かけてるのかもしれないと今更気づいて言うのをやめた。かもしれないっていうかたぶんかけてる。うん。
正直に言うと、わたしが何をしても柳は見捨てないだろうというふわふわの甘い考えがあったのだ。だって柳だし。が、さすがに脱ぎっぱなしの靴下は少しまずかったかもしれない。どん引きされたかもしれない。嫌われたかもしれない。少し不安になって柳の顔色を伺うが、奴の表情にはあまりバリエーションがないので大して参考にはならなかった。

「ごめんね柳」
「は?…急にどうした」
「いやなんかごめん。少しは片付けます」
「おい大丈夫か?熱でもあるのか?」
「ないよバカ」
「おおよかった、いつも通りだ」

ふっと笑った柳を見てわたしもよかったいつも通りだと思った。やっぱりあのふわふわで甘い考えも案外的外れというわけじゃないんじゃなかろうか。何故だか柳が少し楽しそうなのでそう思う。だって柳はデクスターではないしアインシュタインでもないしわたしはディディでもなければいもむしでもないのだ。柳は柳でわたしはわたしなのだ。だからたぶんわたしたちはわかり合えるのだ。しかしだからといってやはり靴下を脱ぎっぱなしにするのはよろしくないと思うので、今度柳がうちに来るときはちゃんと片しておかなくてはと思う。反省反省。

「しかし本当に足の踏み場もないぞ。お前どこで生活してるんだ」
「えっとだいたいベッドの上」
「正直赤也の部屋より酷いと思う」
「えっ嘘だ」
「嘘じゃない」
「じゃあ今度柳が来るときまでにはキレイにしておきます」
「お、また来ていいのか」
「えっ来ないの?」
「いや、来る」
「あっそう」
「うん」
「…なんでにやにやしてるんですか?」
「さあ?なんでだろうな」

何がそんなにおもしろいのか、にやにやと愉快そうに笑みを深める柳を見ていたらなんだか少し腹が立ってきた。ので、さっきの靴下を奴の顔面めがけて投げつけると「お、今から片付るのか?偉いな」などと片手で受け止めながらわざとらしく言いやがる。やっぱむかつく。その上「ほら。俺も手伝うよ」なんて笑いながら床に落ちていたパーカーを拾い上げてキレイに畳み始めるもんだから、やっぱりさっきの反省はなかったことにしてもいいかもしれない。


酸素で燃えます