「ひどい。柳はひどいよ」
「どこが」
「ドリンクバー行ったくせにわたしの分は持ってきてくれないところがひどい、一人だけカプチーノ飲んでるところがひどい」
「だってまだオレンジジュースが残ってるだろ?」
「ホット!あったかいのが飲みたかったの!」
「それとどうでもいいがこれはカプチーノではなくエスプレッソだ。恥ずかしいぞ
「ばかやろう。柳のばかやろう」


とあるファミレスである。


「とにかく、わたしの話を聞いてよ柳くん」
「さっきからずっと聞いている」
「うそつけ。ずっとメニュー見てんじゃん、さっきだってわたしが『実はさ』って言った途端ドリンクバー行こうとしたじゃんそんで実際行ったじゃん」
「別にドリンクバーに行こうが行くまいが俺の勝手だろう」
「勝手だよ!勝手だけれども!わたしの話を中断するのは遠慮してほしいっていうかなんていうか」
「ちょっとドリンクバーに行ってくる」
「言ったそばから!?」


ざわめきの多い、金曜の夜のファミレスである。

ダン、と拳でテーブルを叩いた。ドラマなどで人が悔しがるときによくやるポーズである。そんな演技めいたアクションと共にこれ見よがしに柳を見れば、奴は言うが早いがさっさと席を立っていて、気がつけばドリンクバーの列に並んでいる。一人演じきっていたことを悟り一瞬顔が火照るが、柳とドリンクバーという絵のもの珍しさに意図せず口角があがった。なにあれ似合わない。


「おかえり」
「うん。で、なんだ話って。今日の数学か?古典か?」
「いやちがいますけど」
「おや、そうか。お前のことだからどうせまた授業についていけなくなっているのかと思ったが」
「ちがうっつってんだろ。何?喧嘩打ってんの?」
「ほら、カプチーノ持ってきてやったぞ」
「は?喧嘩なら買う… お、おお、ありがとう」
「うん」
「…」
「わあ、柳ってばやさしー」
「は!?」
「お前の心の代弁」
「うるさいだまれデータオタク」


柳は相変わらず偉そうだった。いつもと同じ涼しげな笑みを称えて、静かにわたしを見下していた。
その細い目は、まるでわたし如きの悪態など取るに足らないものだとでも言いたげで、余裕と自信を顔中に貼りつけたまま静かに白いカップを傾ける。 わたしは「くそ、」と女の子にはふさわしくないような悪態をついて、 でもカプチーノはありがたく受け取ることにした。 カップから溢れんばかりの白いふわふわの泡と、そこにくゆる湯気がなんとも愛らしいではないか。 魔法の飲み物みたいだなあなんて可愛いらしい思想も展開してみる、が、いかんせんわたしの心は荒んでいた。


「あーあ、もう嫌だな!なんかもう嫌だすべてが嫌だ」
「カプチーノ飲まないのか?あ、言っておくがエスプレッソじゃないぞ」
「しってるよ。エスプレッソは泡じゃなくてミルクがいっぱい入ってるやつでしょ?」
「それはカフェオレだ。…もしかして、わざとか?天然ボケを狙ってるのか?それにしてはクオリティが低すぎるぞ」
「しねやなぎ」


我ながらまるで駄々をこねるこどもようだなと思った。けれど、そんな声も喧騒の中にまみれてしまえば、それほど気にはならなかった。

店内に流れている音楽には聞き覚えがある。切ないバラードソングで、今期流行りとか、わたしはあまり好きじゃない。だいたい「悲しいときには悲しい音楽を聴いたほうがかえって落ち着く」、なんて戯言を垂れたのはいったいどこのどいつなのだろう。悲しいときに悲しい音楽を聴いたら余計に悲しくなるに決まっているじゃないか。わたしはやっぱりそうだな、ボサノバとかが聴きたい。ボサノバがどんなのかはよく知らないけれど。


「実はさ」
「うん」
「まあ、なんていうか」
「仁王にふられたんだろ?」
「うん。 …は?」


ガッタン。
椅子が倒れた。言うまでもなく犯人はわたしである。


「まあ1ヶ月続いただけでも良しとすべきだ。俺の予測では2週間程度だった」
「は?何?知ってるの?」
「何をだ」
「とぼけんな!仁王のこと!なんでふられたってしってんの!?」
「忘れたのか?うわーん仁王にふられたようかなしいようって言ってたじゃないか」
「言ったよ!確かに言ったよ!でもそれは友達のエリちゃんに言ったのであってまだ柳には言ってないしそんな気持ち悪いしゃべり方もしていない」
「いや。こんなしゃべり方だった」
「いやもうこの際そこはどうでもいいんだよ。えっ?なんで?なんでしってんの?」
「お前は俺に話を聞いてもらおうとここへ誘ったんだろう?」
「うんまあそうだけど」
「なら問題ないじゃないか。参謀の情報網を侮ってはいけない」
「…柳ってほんと性格悪い」
「お互い様だ」


それと早く椅子を直せ。
そう付け加えて、奴はまたエスプレッソを啜った。
わたしは脱力感でいっぱいである。そしてそんな四肢を動かすのには、少々苦労がいる。それでも椅子はすぐに起こせた。 まだあのバラードが流れているのがわかって、ボサノバが聞きたいと、また思ったけれど、なんだかもうどうでもよかった。


「ねえねえパフェ頼んでいい?」
「自分で払うならな」
「なんでよいいじゃん奢ってよ、そのために柳を召還したんだよ」
「フッ、俺は達人なので召還されない。よって魔王を召還しよう。電話してみる」
「えええお前ちょっと待て!やめろ!幸村とか完全に傷えぐられるだけだからね!」
「ほう、お前の中の魔王は精市なのか。参考にしておく」
「きっ…!きたねーぞ柳!」
「なんとでもいえ」


そう、たぶん。
あとひと月もすれば、こんな痛みなど薄れてしまうんだろう。視界で揺れる銀髪に息がつまりそうになるのも、慌てて踵を返すのも、心臓を蝕んでいくような感覚も、いつのまにか忘れてしまうんだろう。人間はとても都合のいい生き物だから、事実だけを海馬にしまって、こんな感情はゆるゆると色を失っていくに決まっている。そう決まっているのだ。
事実今だって、こうして柳と会話を交わしただけで、張り詰めていた何かが弾けたように胸の辺りが軽くなっていた。
だからだろうか。思わず「ねえわたしなんでふられたんだろう」なんて台詞が飛び出たのは。


「知りたいのか?」
「うん。知りたい」
「それは」
「わたしが不細工だからでしょ、わかってるよ」
「いやそれもあるかもしれないが、最大の理由は、」
「あるのかよ!そこはフォローしてよ!」


いまさら己の行いを悔いても仕方ないけれど、なぜわたしは明白にわかりきっていることを口に出してしまったのだろう。受け取ったカプチーノの表面にフウと息を吹きかけながら、そんなつまらないことを思った。そうしてかわいらしいカップを傾けると、予想以上にとんでもなく熱くて涙が出た。なるほどこれがカプチーノね。うまい。なんて思う余裕は、ない。熱い。非常に熱い。にじんでみえる柳の顔は薄く笑みを浮かべているようで、まったくもう、腹が立つ。


「C組の鈴木」
「…うん」
「仁王が本命なんて珍しいな?」
「柳ってさあ、ほんとに性格悪いね」
「それはどうも」


少し顎をしゃくった柳は、相変わらず意地の悪い笑みを浮かべたままで、わたしは舌の火傷に顔を歪めたままだ。
奴の性格がよろしくないことに一点の曇りもありはしないが、その顔を見ていて思い出す。 厭味ったらしく笑いながらもちゃんとカプチーノを持ってきてくれたり、部活後で疲れているだろうに文句も言わずにこうしてファミレスまで来てくれたり、そのくせ恩着せがましくなかったりして、わたしはこの人のこういうところに救われている。たぶん。わたしのことをわたし以上によく理解しているくせに、柳は決してわたしの内部を荒らさないのだ。その心地よい距離感に甘えてしまっているのは紛れもなくわたしで、でもそんな負い目を感じさせない柳だった。都合がいい解釈だとは思わない。自分勝手だとは思うけれど。


「俺はお前、可愛いと思うぞ」
「はー?何言い出すの?気持ち悪いんですけど」
「本当だ」
「だからヤメロ。似合わないよ柳」
「俺は無意味な嘘はつかない」
「はいはいありがとうね」
「まあ好きだからな。贔屓目で見ているところもあるかもしれないが」
「うんうん、ありがとう」
、」


あとでちゃんとお礼を言おう。ここの代金はわたしが払おう。そう思った。
けれど、今は何をするわけでもなく、ただヒリヒリする舌を冷やしたかった。当然もうカプチーノは飲みたくないし、未だに残っているオレンジジューズなんてとっくにぬるくなってしまっているだろう。やっぱりパフェだ。パフェが食べたい。そう思ってメニューを開いた。すると柳がため息を吐き出しながら何か言った。


「好きだよ、


淡々と紡がれたそれは、たぶん。
わたしの思考回路を凍らせて、脳細胞を死滅させ、すべてを崩壊させるようなものであったのだろう。
その証拠に、いつまで経っても音は文字としてわたしの頭に馴染んではくれなかった。それどころか、頭の中で誰かが「何か今、聞こえてはいけない言葉が聞こえてしまったような気がする」とつぶやくのが聞こえた。「もしかして気のせいだろうか。うん、気のせいだな。仮に気のせいではなかったとしても特に深い意味はあるまい」、というのも聞こえた。

メニューを捲りデザートのページを開くと、「無視か」と正面から柳の声が聞こえる。別に無視したわけじゃないんだけど。反射的に顔をあげると、柳の切なそうな顔が視界に入って心臓が浮いた。ついでに血の気も引いた。
喉まで出かかっていた「チョコレートパフェと宇治抹茶パフェどっちがいいかな」、などというふざけた台詞は口に出しちゃいけない。それだけはわかった。


「なんで、お前なんか、」と、薄い唇の隙間から漏れた声は、少しかすれている。

柳は苦しそうに笑った。呆れているようでもあった。 つられてわたしも笑った。笑っていいのかどうかいまいちわからなかったけれど、とりあえず笑っておけばなんとかなるさの精神で笑っておこう。そう思った。でもうまく笑えたかどうかはわからない。もしかしたら、ただ口角を歪めた不細工な顔でしかなかったかもしれない。でも柳が「やっぱり可愛いな、お前は」などと柄にもないようなことをさらりと言うので、やっぱり笑ってはいけなかったんだと思った。

ア ン ダ ー グ ラ ウ ン ド ヘ ブ ン ?
(20110430/なぐも/片恋企画さま)